お気持ちの表明

思考を雑に外出していきます

バカなキャラで生きれる範囲で生きてたい(心理的安全性的な話)

「安全基地や心理的安全性があるといい」という話はよく耳にするし、言っていることは分かる。ただ、これまでの説明ではどうも今ひとつ腹落ちしないなといつも思っていたが、自分なりに納得のいく説明を一つ思いついた。

結局のところ、心理的安全性や「安全基地」がないと、思考の大半を「安全の確保」に持ってかれてしまうのが問題なんだと思う。

安全でない環境で生きていると、自分が安全に生き延びるために、周りの音や光、物の動きなどにリソースが持ってかれ、そこに注意が集中してしまう。その結果、それ以外のところにリソースを割けなくなる。

これは職場でも同じことが言える。 心配事がたくさん増えれば増えるほど、それに自分の注意の総量を持ってかれてしまう。そのせいで、より創造的なところに使えるはずの脳のリソースの割合が減る、ということが起こると思っている。

安全面を気にしながら働く、あるいは生きるというのは、私的には基本的にマイナスだと思っている。というのは、安全に関することって大半が「マイナスをゼロにする行為」だからだ。最終的に物事が生産的な方に寄与することはあるにしても、それ単体で見れば、特に生産的な行為ではないと思っているからだ。

安全面が確保されている前提であれば、マイナスをゼロにする系の注意は限りなくゼロに近づいていきます。 そうして余っている注意のリソースは、他の「0から1」「1から10」「10から100」といった、プラスな作用を生み出すところに割くことができます。少なくとも私は、そういうところをやっているときの方が、性格的に前向きだし、明るいし、機嫌がいいし、楽しい、もっと継続したい、向上したいという状態になると思っています。この時の状態をすごく端的に言うと、「子供のように無邪気でバカな状態」という心理状態だなと私は思っている。ノリで言ったら「ウェーイ」って感じである。

今までの職場はいろいろあったものの、働いている時間のほとんどを「ウェ〜イ」で過ごせた。会社を辞めた今でも、あそこに勤めて本当に良かったなと最近つくづく感じている。友人やコミュニティで生き残っているつながりも、頭悪い会話を雑にできたり、深い相談ができるのは、「ウェ~イ」と言えるところだけだ。

今後、社会で生きていく流れの中で、自分が「ウェ〜イ」というテンションで、学生気分で楽しく前向きに動けるかどうかというのは、常に指針の一つとして持っておきたいなと思った。

絶対に子供に寝てほしい親による暗室づくり

来月、子どもが生まれる予定になっている。

子どもが生まれたら、まず出てくる悩みとして、深夜に起きてしまうという問題があると思う。私は睡眠障害があって、なるべく睡眠時間を死守したいと思っているので、最近はずっと子どもの睡眠に関する本ばかり読んでいる。

赤ちゃん寝かしつけの新常識 -赤いライトで朝までぐっすり-toyokanbooks.com

子どもの睡眠環境で大事な要素として、なるべく部屋を暗室にするという話がある。大人だったら気にならないようなわずかな明かりも、子どものうちは結構影響を受けてしまうらしい。海外の寝かしつけの事例では、窓に遮光シートを貼って、夜は本当に真っ暗に、朝方になっても部屋の暗さが保たれるようにするという工夫がよく紹介されている。

子どもが生まれてから準備していたら面倒なので、この対策を今日やってみることにした。

100円ショップで園芸用のマルチシートを買ってきて、窓枠に貼ってみた。マルチングシート自体は、開けて見た感じだと単なる黒いゴミ袋のシートのようなものだ。

マルチシート(黒、穴なし)jp.daisonet.com

最初は二重にして貼ってみたのだが、それでも多少光が漏れてきていた。そこで四重に重ねてみたところ、かなりの暗さをキープできるようになった。貼り付けはマスキングテープでやった。

ロールスクリーンの端などから漏れていた光も完全になくなっている。

締め切ってみたら、ドアの隙間からも明るさが入ってきていた。シートが余っていたので垂らすように貼り付けといた。

ここまでして、部屋の扉を閉めて電気を消してみたところ、本当に真っ暗な状態を作ることができた。写真通り、部屋真っ暗。

子どもを育てるのは絶対に可愛いと思っているが、自分の睡眠も死守したい。これで少しでも長く寝てくれるようになってほしいなと思う。

当たり前のことを馬鹿みたいにちゃんとやれてる人と働きたい

最近、自分が一緒に働きたい人、あるいは働きたくない人の基準について考えていました。

結局のところ、一番大事なのは「仕事への態度」がどうなっているかという点に尽きるのではないかと感じています。私が重視している態度は「当たり前のことをバカみたいにちゃんとする」ということです。

これはどんな職能に対しても言えることですが、課題解決には次のようなプロセスがあると思っています

  1. 出てきた課題に対して因数分解をする
  2. 漏れや重複がないか(MECEになっているか)を考える
  3. 適切な解決策を選択する
  4. 実際のアウトプットが正しいかどうかを検証する
  5. 問題がなければ採用し、ダメだった場合は追加の試行錯誤をする

これらの各工程を、どれだけサボらずに自らの手でやり切る習慣があるか。そこが非常に重要なのだと思っています。

それぞれの工程について、手を抜いたらどうなるかという話になると、以下のようなリスクがあると考えています。

  1. 因数分解を手抜くと、そもそも問題の認識を間違えてしまう可能性が高まる
  2. 漏れや重複がないかの確認(MECE)を怠ると、多角的な検査がされてない可能性が高まる
  3. 適切な解決策を選ぶプロセスを怠ると、問題解決に至るスピードや質が悪くなる可能性が高まる
  4. アウトプットの検証を怠ると、自分の仕事が本当に良いものであるかについて、忖度せずに向き合う習慣が身につかない
  5. 試行錯誤という経験がなければ、単純に学習量が少なくなる傾向がある

それぞれを馬鹿みたいにちゃんとやるということは、当人にとっては相当コストがかかる行為だと思っています。ですが、それぞれをサボる習慣が身についている人は学習曲線がゆるやかになりがちだったり、「どこが悪かったのか」を自覚することができなかったり、定常的に問題を出し続けてしまうということになると思います。なので、仕事と向き合う態度として「当たり前のことをバカみたいにちゃんとやっているか」という観点は、一番基礎となる大事なポイントなのかなと思いました。

そして、仕事相手として「この人は信頼できる」と感じるのも、こうした当たり前なことをバカみたいにちゃんとやる、その積み上げの量なのかなと思いました。

きちんと積み上げている人は、仕事でミスがあったり解決が難しい問題に直面したりしても、自己修正ができたり、自分で解決できない部分は他人を頼るといったアクションが取れます。

ですが、この習慣が身についていない人は、一人で作業をしてもミスをしますし、そもそも自分のやっている行為の良し悪しを判断することができません。人に頼ろうとした時にも、自分が何に困っているのかを言語化する能力が身についていないのです。

これでは、一緒に働くことで解決する問題のサイズを大きくしようとしていたのに、結局その人が担当した領域の問題を解決できないということになってしまいます。そうなると全体として悪い影響が出てきますし、気持ち的にもあまり良いものではありません。

面接などで相手に対峙して、自分にとって「その人が良い人なのか、悪い人なのか」を判断することはよくあると思います。

そんな感じで、面接などで対人観察することがあったときは、「当たり前なことをバカみたいにちゃんとやれているか」という点に気を配りながら観察するのが良いのではないかと思ったので、今後はこの意識をより念頭に置いておこうと思います。 また、この話は「態度」の話であるので「性格」の話ではないというところも併せて留意しようと思いました。

授業で鏡映描写実験をやった

昨日、放送大学の面接授業を受けて、その授業で「鏡映描写実験」を行いました。

鏡映描写実験とは、鏡に映し出された図形を見ながら、自分の手元を鏡越しに確認しつつ、その図形をなぞるという実験です。鏡に映っているものを見ながら手を操作するため、視覚的には前後左右がいつもと違う状態で操作することになります。

こんな器具をつかって、黒い板の下に解く印刷された図形をおいて、被験者は黒い板に遮られて直接図形を確認できない状況で、鏡を見て間接的に図形をなぞるという作業をします。

鏡映描写器 | 株式会社SANKA 健康機器事業部

今回の実験の目的は、鏡を見ながら図形をなぞるという新たな問題解決を行う際に、「利き手(右手)」での練習が「非利き手(左手)」のパフォーマンスにどのような影響を与えるかを確かめることでした。

実験の手順と意図は以下の通りです: 1. まず、非利き手を使って図形をなぞる試行を重ね、学習が進んでタイムが短くなっていくことを確認する。 2. その途中で、利き手を使って何度も練習を行う。 3. その後、再度、非利き手で同じ課題に取り組む。

このように連続して非利き手で解いていたわけではなく、途中で反対の利き手による練習を挟むことで、非利き手で操作した時の習熟度が上がっているのかどうかを検証しました。

この実験から探ろうとしたのは、同じ事柄の学習を単純に継続するだけでなく、その周辺的な課題(反対の手での練習など)を解くことによって、本筋の問題解決における習熟度が向上するのか、あるいはしないのかという点についてです。

今回の実験では、星型の図形の上に迷路みたいな感じで、始点のところに矢印がありつつ、それを一周するという作業をしました。星型の枠内から外れたり、道からそれたりした場合については、エラーと見なしてはみ出した回数を数えています。

実際に私が実験を行ったときのタイムとエラー回数は以下のようになっていました。 回数が進むにつれて、周回時間とエラー回数がそれぞれ小さくなっており、熟達している様子が伺えます。

また、利き手での練習をする前は徐々に速くなっているように見えますが、利き手での練習を挟んだ前後で差分を見ただけでもタイムが縮まっていることが確認できています。 この結果から、直接的な練習だけでなく、周辺的な要素を用いた練習も、本来学習したい事柄に影響を与えていることが伺えます。

施行 周回時間 (秒) エラー回数
前1 (第1試行) 346.74 12
前2 (第2試行) 105.34 0
前3 (第3試行) 79.56 0
利き手での練習を実施 (記録しない) - -
後1 (第4試行/第12試行) 56.37 0
後2 (第5試行/第13試行) 50.98 1
後3 (第6試行/第14試行) 44.95 0

前1-3の解

非利き手で迷路をなぞるというだけの課題のはずなのに、前後左右の関係がわからなくなると、本当に何の操作をしているのか意味がわからなくなるな、という気持ちになりました。

1枚目については、最初にゴールにたどり着くまでに5分ちょっとぐらいかかっていて、操作のおぼつかなさに自分でもびっくりしました。ただ、初回を終えた後は、急にタイムが1分半ぐらいに縮まっており「なるほど、学習が進んでいるな」という気持ちになりました。

後1-3の解

非利き手で練習した後、一発目からタイムが縮まっており、ちゃんと周辺的な学習も直接的な学習対象の課題解決に影響しているんだなというのを感じました。

感想

心理学で勉強することを、だいたい感覚的には知っているんだけれども、言語化するとそうなるのかという認識になることが多くて、目新しいことに出くわす頻度が自分的には少ないかなと思っていました。

ただ、今回の実験を通して感じたのは、知識として知っていることと、体感的にきちんと腹落ちしているというところには、やはり乖離があるということです。感覚的、あるいは経験的に知っているというのは、「だいたいこうなるだろう」という推測であって、あまり数値化されていないものだと思います。実際、数値化を試みるのは結構コストが高いので、日常的にはなかなかやらないことでしょう。

今回は実験を通して、以下の内容を分析しました: 1. 実際に問題解決にかかった時間 2. 問題解決の過程で発生したエラー回数

これらを記録し、数値としてどう現れるのかを明らかにしました。普段のUX改善などの業務でも同じようなことをやっているとは思いますが、これほど簡素な実験であっても、実際に手を動かしてやってみることによって多くの学びがあると感じました。

計測やルーブリックの定義といった手法は、知識として知っていても実際にやりきっている人は少ないのではないかと思います。そういう意味でも、数値化して何が起こっているのかを具体的に明らかにする作業の大切さを学びました。レポート作成をがんばろうとおもいます😇

「逆問題」の学習は重要だけど難しい

少し前に、学習に関する内容で外部発表をしました。その際、「ボトムアップの学習」だけではなく「トップダウンの学習」が必要だという話をしました。それについてもうちょっと言語化します。

「順問題での学習」「逆問題での学習」

トップダウン・ボトムアップというのは、言い換えれば「順問題」から学習するのか「逆問題」から学習するのか、という話です。

  1. 順問題での学習

チュートリアルや問題集をもとに、基礎から徐々に難易度を高めて問題解決を目指す、という学習スタイルです。

  1. 逆問題での学習

これは、実際に解決したい課題がまず先にあり、その解決のために必要なものを逆算して組み立てていく学習スタイルです

「逆問題での学習」やらながち

私が感じているのは、「勉強をしている」と言う人で、「順問題での学習」をやってる人はいるものの「逆問題での学習」をしている人が思ったより少ないかもしれない、ということです。「順問題での学習」として教科書やチュートリアルを読んで理解はしているかもしれませんが、それを実際に利活用して問題解決するという経験を得ることができる「逆問題での学習」はあまりやっていないように思うことがあります。

具体例としてソフトウェアエンジニアの話を挙げるのであれば、ライブラリのドキュメントやチュートリアルを読んだり、世の中の技術記事をキャッチアップしたりはしているものの、それを実際に活用して自分でアプリケーションを作ってみる、あるいは職場のシステムに組み込むために提案してみる、といったところまで踏み出す人は、決して多くないと感じています。

また、「逆問題での学習」の習慣があるシニアレベルのエンジニアが、ジュニアレベルのエンジニアによくするアドバイスとしては、次のようなものがあるでしょう。「とりあえず自分のアプリケーションを作ってみましょう。別に本番リリースするような立派なものじゃなくてもいいです。とりあえず自分の手を動かして、実際に動くかどうか試してみてください。」こうした助言はよく聞かれますが、実際にアドバイスを受けてアプリケーションを作るところまで行く人の数は、やはり少ないというのがよくある話だと思います。そして、これが技術の習熟に大きく差がつくポイントだと思っています。

「逆問題」に取り組む心理的ハードル問題

一方で、順問題を自己学習するよりも、逆問題を自己学習する方が心理的ハードルが高いのではないか、という話があると思っています。

順問題については、徐々にステップアップしていくこともあり、道筋を立てやすいのが特徴です。そのため、「ドキュメントを読めばOK」とか「問題集を買っておけばOK」といったように、学習の進め方が明確になりやすいという側面があります。

一方で、逆問題は「問題設定」があり、その問題を解決するためにはどう考えればいいかという学習スタイルになります。そのため、そもそも問題を作るところから始めなければいけません。この「学習するために問題の準備をしなければならない」という点が、逆問題の学習に取り組む際の心理的ハードルを上げているポイントなのだと思います。

ソフトウェアエンジニアで言えば、特定のライブラリやフレームワークを勉強するために「何かしらのアプリケーションを作りましょう」ということになるでしょう。しかし、いざ作ろうと思った時に、お題がないままアプリケーションを作り始めるのは、非常にハードルが高いものです。

学習習慣がある人であれば、

  1. 既存のサービスを模倣して作る
  2. 自分なりの学習用テンプレートに当てはめる

といった方法で進められますが、そうした習慣がない人からすると、「まず最初に何を勉強したらいいのか分からない」というところで手が止まってしまいがちなのだと考えています。

おわりに

何かを学ぼうとするときには、問題集を解くような「順問題的」な学習と、実際の問題を解くために何が必要なのか解決策を考えながら進める「逆問題的」なスタイルがあるという話をしました。

実務を遂行していくためには逆問題を解決する能力が求められる一方で、自己学習をしようと思ったときに、この逆問題を仕事以外のところで自力で学ぶのは結構難しいという側面があります。

この「逆問題の学習」にどう対処するかによって習熟度の成長度合いが大きく変わってくるのではないかと感じました。

AI加速装置論と大量調理

カレーの大量調理と AI 加速装置論が近しい話だなと思った。

レシピに記載されている分量を「n倍」するような形で材料を増やし、大量調理をすることは可能なのか。この点について、こちらのブログでは以下のような説明がなされていて、この説明が「AI 加速装置論」と近しい話だなと思った。

大量調理について、本当によくある質問です。 27年間、大量調理をしてきた経験から、しかも、それが出張先の常に違った環境で行ってきた経験から、この問いについての回答は自分の中でかなり理解度が深まったものになっていると思っています。 とはいえ、正確に伝えるのは難しい。

結論は、過去の記事にある通り、2点です。

【1】誤差が出る 少量調理時には誤差だったものが、大量調理にしていくと大きな差となる。

【2】加熱の具合に差が出る 2倍量の素材を加熱するなら、火力も鍋の底面積も2倍にする必要がある。それが出来ない場合に加熱しながらの調整が必要になる。

007.2倍のカレーは2倍の材料で作れるのか? 解釈|水野仁輔

道具の「加速装置」としての効能と、無視できなくなる誤差

これは AI に限らない話であるが、道具には「加速装置」的な効能があると思っている。具体的には、「人間が特定の技能を発揮して手を動かして作業をするより、その要素を抽出した道具を使うことによって、一定の品質を持った実用的なアウトプットを即時的に出力することができる」という効能があるからだ。この「一定の品質を持った実用的なアウトプット」というところがポイントかなと思っている。別の視点だと「実用的ではあるが、無視できる誤差/デメリットを含む可能性がある」という考え方ができると思う。道具が解決する問題のサイズが小さければ、その誤差はゼロとしていいほど最小化できるが、大きい問題を解決する場合については、その誤差が無視できないサイズになり比較/検討という認知プロセスが入ってくると思う。

「スケールアウト」による品質担保と、「スケールアップ」による誤差の拡大

そもそも、プロセスや物事の規模を拡大(スケール)させるアプローチには、大きく分けて 2 つの方向性があります。一つは、同じ処理能力を持つ単位を複数並行して稼働させ、全体の処理量を増やす スケールアウト というアプローチ。もう一つは、単一のプロセスに投入するリソース(鍋の大きさや火力など)を増やし、一回あたりのアウトプット量を大きくする スケールアップ というアプローチです。

カレーの大量調理における「誤差」の話は、まさにこの 2 つのアプローチの違いとして捉えることができるのかなと思いました。

同じレシピを同じ分量で作った場合には、材料の組み合わせ的に最適な分量の調整がされているため、味わった時に香りの調整や塩分濃度の調整がパチッとはまっている状態になっています。このレシピを スケールアウト して作った場合は、問題が出にくいという話になるでしょう。

ここで言う「 スケールアウト して作る」というのは、同じレシピを複数のガス台とフライパンを使って同時に作り、それぞれの完成形をお客さんに提供することを指しています。 スケールアウト した場合には、各レシピの分量が守られ、それぞれの品質が担保された状態でお客さんに提供されるので、レシピの範囲内であれば特に誤差が出ることはないはずです。

一方で、ブログで語られていた「元のレシピの分量を倍(2倍)にした場合に問題ないのか」という話については、これは スケールアウト ではなく、単一のプロセスをそのまま拡大しようとする スケールアップ のアプローチをとる際の問題だと思っています。

  1. スケールアウトで解決しようとした場合 カレーを作るというプロセスが同時に並行して走っている状態なので、レシピ通りのクオリティが担保されます。
  2. スケールアップで解決しようとした場合 問題のサイズをそのままスケールさせることになります。そうした場合、元のレシピで想定されていた各プロセスの誤差がそのまま掛け算的に倍増してしまい、アウトプットの量だけでなく誤差も大きくなってしまいます。

誤差の「割合」自体は変わらなくても、絶対量が大きくなることで、受け手側には知覚できるほどのノイズ(品質のブレ)として現れ、結果的に問題視されるのだと思います。

AI 活用における「誤差の雪だるま」現象

これと似た話が AI でもよくあるのかなと思っていて、細かい問題を スケールアウト して AI に解決させる分については、個々の問題で発生する誤差は無視できるレベルになり、アウトプットされる出力も、あるいはアウトカムを受け取るユーザーとしても、問題ない品質が保たれやすいのだと思います。

ただ一方で、大きな課題をそのまま投げ込むスタイル、いわば AI における スケールアップ 的な解決を図ろうとすると、プロセスごとに生じる誤差が雪だるま式に、複利のような形で合算されて出てくることになります。そこで孕んでいる誤差が無視できないものとなり、「AI は使えない」とか「クオリティが低い」と言われる要因になっているのではないかと考えています。

AI 活用における「誤差マネジメント」戦略

AI の使い方が上手な人は、この特性を認識していると思っています。

小さい問題については、 AI に何も考えずパッと投げてもクオリティに問題はないというスタンスで、 スケールアウト してタスクを処理させます。一方で、大きな課題を解決しようとするときは、単なる スケールアップ で解決しようとはせず、 AI が孕んでくるであろう誤差を管理するために、大きく分けて 2 つの対処法 を状況に応じて使い分けているのではないでしょうか。

  • 事前のプランニング(予防的アプローチ) それぞれのプロセスで発生しそうな誤差を最小限にするための計画を立てる。大きな課題をそのまま扱わずに適切な粒度へタスクを分割し、最終的なアウトプットの誤差がなるべく小さくなるように設計して動く。
  • 事後のフィードバック(対話的アプローチ) 全体として出てきたものを見た上で、経験的プロセス制御のように、フィードバックを与えて対話的に修正を繰り返していく(フィードバックループ)。

AI を使いこなす人は、これらの一方だけを選択するのではなく、課題の性質に合わせて両方を高度に組み合わせたり、あるいは最適な方を柔軟に選択したりしています。

そしてさらに、 AI を上手に使える人は、一連の流れで出てくるアウトプットに含まれるであろう「誤差」に対する検知能力が、そもそも高いのだろうなと思っています。この検知能力というのは、 対象領域に関する専門的なドメイン知識や、スキルの習熟度 に裏打ちされているところがほとんどになると思うので、レベルが高ければ高いほど、その誤差に対してより敏感に気づけるようになります。

その結果、誤差を発生させないようにするための設計や戦略を立てられるようになるのではないか、と考えました。

一方で、対象領域に関する専門的なドメイン知識やスキルの習熟度が低い場合、レベルが高い人が気づける「誤差」を感知しきれないという課題が残ります。そのため、 AI を使って問題解決をする際には、出てきたアウトプットをただそのまま使うのではなく、「本当に問題ないのか?」とまず疑う習慣を身につける必要があります。そして、その前提でアウトプットを見た時に、適切な批判的視点を持って AI に問いかけ、自身の理解を深めようとする 学習習慣 が非常に大事なんだなと思いました。

道具によって、やる気が出る

道具があることによってやる気が出るという話は、昔からよくあることだと思っています。「形から入る」という言葉があるように、例えばスポーツを始めようとする時に良いグレードの道具を揃えたり、新しい道具を買ったりすることで、これまで億劫だった作業に対する気持ちが加速され、一気にやる気が湧いてくるというのはよくある現象ではないでしょうか。

私自身の今日の話で言うと、ブログを書きたい気持ちはありつつも、タイピングが面倒だと感じていました。しかし「Typeless」というアプリを使い始めたことで、音声入力による文字起こしのハードルが劇的に下がりました。その結果、少し雑な思い付きであっても「ブログを書いてみようか」という前向きな気持ちになっています。今日このブログについても、私は文字起こしだけで書いています。

道具によって心理的ハードルが下がることは多々ありますが、これは抽象化すると「ハードルが下がることで、自分が対処できる問題領域の幅が広がる」という話なのだと感じました。 1. 自己能力の拡張 私の場合、もともとブログを書く能力自体はありましたが、音声入力と組み合わせることで「書く」ことへのハードルが下がりました。その結果、執筆の頻度が上がりそうだと体感しています。 2. 工程の圧縮 このゴールデンウィークに、庭に散水用のホースを買いました。今までは植物の水やりを、いちいちジョウロに水を汲んで行っていたのですが、常に蛇口にホースを繋ぎっぱなしにしたことで、トリガーを引くだけで済むようになりました。

これらに共通するのは、本人の「やりたい気持ち」はあっても、それを実現するためのステップが多かったり準備に時間がかかったりするために、実際の行動が起こせていなかったという点です。道具や仕組みによって工数が一気に圧縮されると、あとは少しのやる気だけで物事を動かせるようになり、結果として能動的な行動が可能になります。

この視点は、仕事においても非常に大事な知見だと考えています。 1. 後回しにされる要因 「重要だが優先度が低い」ものは往々にして放置されがちです。やった方がいい重要性はあっても、即時的な効果が得られにくいものほど、対応のためのステップが多いことが原因で後回しにされてしまいます。 2. 仕組み化の価値 ステップ数さえ少なければ、強い意欲がなくても即座に対処できるようになります。

仕組み化して簡単に問題を解決できるようにする取り組みは、実際にものを作って配布し、他の人が使い始めてからでないと本当の効果は見えてこないかもしれません。しかし、即時的な効果がすぐには現れなくとも、こうした「仕組み作り」は非常に大切な営みであると改めて実感しました。

そして、こういう形で実行を手助けするためのサポートをしていくことは、認知科学などの分野では「スキャフォールディング(足場かけ)」と呼ばれているそうです。 私は最近、このスキャフォールディングについてよく考えるようになってきたなと思いました。