お気持ちの表明

思考を雑に外出していきます

バカなキャラで生きれる範囲で生きてたい(心理的安全性的な話)

「安全基地や心理的安全性があるといい」という話はよく耳にするし、言っていることは分かる。ただ、これまでの説明ではどうも今ひとつ腹落ちしないなといつも思っていたが、自分なりに納得のいく説明を一つ思いついた。

結局のところ、心理的安全性や「安全基地」がないと、思考の大半を「安全の確保」に持ってかれてしまうのが問題なんだと思う。

安全でない環境で生きていると、自分が安全に生き延びるために、周りの音や光、物の動きなどにリソースが持ってかれ、そこに注意が集中してしまう。その結果、それ以外のところにリソースを割けなくなる。

これは職場でも同じことが言える。 心配事がたくさん増えれば増えるほど、それに自分の注意の総量を持ってかれてしまう。そのせいで、より創造的なところに使えるはずの脳のリソースの割合が減る、ということが起こると思っている。

安全面を気にしながら働く、あるいは生きるというのは、私的には基本的にマイナスだと思っている。というのは、安全に関することって大半が「マイナスをゼロにする行為」だからだ。最終的に物事が生産的な方に寄与することはあるにしても、それ単体で見れば、特に生産的な行為ではないと思っているからだ。

安全面が確保されている前提であれば、マイナスをゼロにする系の注意は限りなくゼロに近づいていきます。 そうして余っている注意のリソースは、他の「0から1」「1から10」「10から100」といった、プラスな作用を生み出すところに割くことができます。少なくとも私は、そういうところをやっているときの方が、性格的に前向きだし、明るいし、機嫌がいいし、楽しい、もっと継続したい、向上したいという状態になると思っています。この時の状態をすごく端的に言うと、「子供のように無邪気でバカな状態」という心理状態だなと私は思っている。ノリで言ったら「ウェーイ」って感じである。

今までの職場はいろいろあったものの、働いている時間のほとんどを「ウェ〜イ」で過ごせた。会社を辞めた今でも、あそこに勤めて本当に良かったなと最近つくづく感じている。友人やコミュニティで生き残っているつながりも、頭悪い会話を雑にできたり、深い相談ができるのは、「ウェ~イ」と言えるところだけだ。

今後、社会で生きていく流れの中で、自分が「ウェ〜イ」というテンションで、学生気分で楽しく前向きに動けるかどうかというのは、常に指針の一つとして持っておきたいなと思った。